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ストーリー

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種のM&Aでふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

日本各地に残る伝統工芸や地場産業などが代表的ですが、あらゆる企業活動は、その土地や社会、歴史、そこに関係する人たちの想いや技術によって支えられ、育まれ、その積み重ねが価値を繋いでいるものです。しかし、高齢化や後継者不足がますます深刻化している昨今、そんな大切な価値が失われてしまうことも多々あります。ここでは、悩ましい事態を打開し、なんとか廃業という結末を逃れ、技術や伝統、文化、歴史を未来に紡いだ事例をご紹介します。

宮崎県北の山あいの町、美郷町西郷は栗の名産地。小さい町ですが、栗のお菓子を作る店がいくつかあり、かつての「日向庵(ひゅうがあん)」もそんな一軒でした。

人気のお菓子はあったものの、経営者が高齢となったため、菓子材料の卸だけを残し、製造部門を閉鎖することを決めます。しかし、あきらめずに事業承継の道も模索することに。

そこで縁があったのが、現在の日向利久庵(ひゅうがりきゅうあん)・社長、弓削龍生さんでした。

宮崎県高鍋町出身の弓削さんは、地元の高校を卒業後、東京の大学へ。その後、大手メガネチェーンで店舗運営や管理の仕事をしたのち、2011年宮崎へUターンしました。都農町(つのちょう)の道の駅の立ち上げに携わるなど、店舗づくりのアドバイスや運営ノウハウを指導する仕事をしていた時、舞い込んできたのが菓子店の事業承継の話だったのです。日向利久庵と弓削さんにとっての共通の知人がおり、その人がもたらした話でした。

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

「日向庵のお菓子は前から知っていて、それがなくなってしまうのはもったいないと思いましたね。ただ、製造業は経験がないし、正直悩みました。でも、従業員もまた働きたいと言ってくれているし、それならと承継を決断しました」(弓削さん)

法人を引き継ぐのではなく、工場、職人、レシピを部分的に事業譲渡することで話がまとまり、一度やめていた職人さんにも戻ってきてもらい、菓子作りが再開されました。2016年のことでした。

“まちのお菓子屋さん”から“栗菓子専門店”へカスタマイズ

再スタートした当初は、栗菓子だけでなく、おまんじゅうや上生菓子、シュークリーム、アップルパイ、ショートケーキに至るまで、ありとあらゆるお菓子が店頭に並んでいました。何百ものレシピがあったそうですが、弓削さんには最初から目を付けていた商品がありました。それが「栗利久(くりりきゅう)」です。

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

栗利久は、栗あんを敷き、その上に栗の渋皮煮を5つ並べ、黒糖の羊羹を上からかけてコーティングしたもの。大粒の栗が丸ごと入っていて、つやつやの羊羹で包まれた様子は、高級感にあふれていて、他では見たことがないようなお菓子です。

「ラインナップを見たときに、他のお店にはない唯一無二のお菓子であると感じました。今でいう“映える”商品であり、インパクトが強く、これを主力商品にしようと思いました」(弓削さん)

当時の売上では、栗きんとんを棒状にした「黄樹(おうじゅ)」の方が多かったそうですが、物販の分野で経験を積んでいた弓削さんには、栗利久が非常に魅力的な商品に映りました。そして、店名を日向庵から商品名にちなんで「日向利久庵」へと変更します。

「手頃な値段のメガネを売りにするフランチャイズ店がかなわないのは個性的なオンリーワンの商品を扱う個店です。栗利久にその特徴を見て、自分たちが生き残る道はこれだなと思いました」(弓削さん)

栗利久は作るのに手間がかかる商品のため、ベテラン職人さんいわく「昔はこんなにたくさん作っていなかった」もの。看板商品として知られるようになり、メディアにも取り上げられ、「あれ、おいしいね」という声を外から聞く機会が増えることによって、職人さんのモチベーションも上がったそうです。

弓削さんの目論見どおり、栗利久はヒット商品となり、日向利久庵は“栗菓子店”をうたうことに。商品数は30~40種に減らしました。

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

「一から商品やサービスを作り出すのは大変だけど、カスタマイズして売り上げを増やしていくことは確実で早い」と弓削さん。売れるために何をすればいいのかを徹底的に考えたことが、今回の承継が成功した要因と言えるのかもしれません。つまり、魅力的なお菓子はすでにあるのだから、そこに重点を置き、集中して販路を開拓し、店の看板商品にすることがその“何か”でした。レシピは変えずとも、打ち出し方を変える。何でも作れるお菓子屋さんをやめ、栗に特化していく。「とがっていくこと」に弓削さんは舵を切りました。

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

事業承継が地域経済の循環をつなぐ

その後、販路を開拓するために鞄にお菓子を入れて、東京の百貨店や駅の銘品館で扱ってもらえるように営業を繰り返した弓削さん。日向庵の時代にも通信販売は行っており、首都圏でも“知る人ぞ知る”お菓子ではありましたが、栗利久を看板商品にし、商品と店の価値を高めていくには、もっと多くの“外の人”に知ってもらう必要があると考えました。

地域の人がお客さんという菓子店から、日本全国の人をお客さんとみなす全国区の店を目指すことに。いろいろなお菓子が手に入る首都圏であえて勝負することで、「宮崎のお菓子と言えば栗利久」と言ってもらえるような存在になろうと目標を定めたのでした。これも「どこのお店でも同じ品物が手軽に安く買える」という前職のメガネチェーンでの経験からの逆転の発想といえます。チェーン店ではたくさん出店することでその目標を達成しますが、日向利久庵はその逆。ここでしか買えないお菓子を全国の人に買ってもらうためには、支店をたくさん出すのではなく、首都圏での催事という手法で打って出ることで、「今しか買えない」「宮崎の栗菓子」という限定販売にすることで、より多くの人に知ってもらい、希少性を増すことを目指したのです。

そんな苦労が実を結び、催事に呼ばれ、出店することも増えていきました。メディア露出も増え、自社サイトやショッピングサイトからの注文が増え、今ではネットでの売り上げが県内の栗菓子店3店の1.5~2倍に。コロナ禍にあっても安定経営ができる基盤ができています。

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

そして、2018年2月、古民家をリノベーションし、高鍋本店をオープン。同時にロゴマークやパッケージデザインを一新し、カフェを併設した旗艦店をスタートさせました。

福岡や大分から栗利久のファンで、カフェにも行ってみたいと来てくれた人や、宮崎市内から「興味はあったけど、まだ一度も食べたことがない」と来てくれる人など、新しく出会うお客さまが増えたことをうれしく感じているそうです。

一方で、2021年3月末で、創業の地・西郷町の工場が閉鎖されます。職人たちが高齢化し、その代わりの新たな人材の確保ができなかったためです。実は、日向利久庵での実績から、新しく洋菓子店も事業承継し、店舗、工場、従業員を引き継ぐことにした弓削さん。宮崎市にあるそちらの工場で栗菓子も製造することにしたのです。

「日向庵を承継した当時は職人さんたちとの関係性でとても苦労しました。なかなか心を開いてくれず、経営方針にも理解が得られなかった。そんな工場長とも今では笑って話せる仲になり、最後に『やっと肩の荷が下りるわ』と声をかけられたときには本当に安堵しましたね」(弓削さん)

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

異なる視点で、事業に新しい命を吹き込む

実は弓削さん、お菓子を食べるのは苦手なのだとか。「こんな私が、まさか2つもお菓子の会社を経営することになるとは思っていませんでした。たまたま知り合って、店の商品に惚れこんで、ということなんですよね。どこにチャンスが眠っているかわからないですね」と話します。

「どんなお菓子屋さんにも光るものはある。けれど、作り手からの目線だけで見ていると、時代とともに注目されなくなることもある。そして、その理由がわからない。異業種出身者の視点で見ることが、元からあるものの魅力を再発見するお手伝いになるんです」(弓削さん)

承継し事業に新しい命を吹き込む

「第三者承継は、マイナスイメージで捉えられがちで、今までは目立たないように行われてきたと思いますが、もうはっきりと言える時代になっています。進んで承継するべきいう文化もできつつあるように思えます。一次産業で作られたものを菓子などの商品にして販売し、それによって地元が繫栄する。地域経済の循環を止めないために、事業承継が担う役割は大きいと思います」(弓削さん)

【歴史を紡ぐ事業承継】異業種の視点でふるさとに恩返し。メガネ業界出身のUターン社長が伝統栗菓子を全国的ヒット商品に

今回知人からの紹介で事業を継承することになった弓削さんですが、承継当時から今までを振り返り、次のようにも語ります。

「もし、承継者と被承継者の間に第三者がいてくれたら、もっと時間がかからずに、事がうまく運んだかもしれない」

事業承継に限った話ではないかもしれませんが、外からの声を聞き、初めて気づく、理解が進むということはよくあることです。今回の場合は、職人さんたちの経営方針に対する理解や経営者と現場との信頼関係の構築など、第三者からの説明があれば、もっとたやすかったという事かもしれません。

また、事業承継の手法だけでも、法人そのものを引き継ぐ株式譲渡から、事業の一部、知的財産・工場・店舗などの部分を引き継ぐ事業譲渡まで、様々なパターンが考えられます。「いろいろな事例を知っていて、中立の立場で意見を言ってくれる人がいたら、どんなに助かったことでしょう」と、弓削さんからはそんな言葉も出てきました。

例え身近に跡継ぎがいなくても、弓削さんのような異業種出身者や、一度地元を離れ外からの視点を持った人など、思わぬ視点から事業に新たな命を吹き込んでくれる人が現れる可能性は、どんな企業にも存在します。今回、たまたま共通の知人がいた、という偶然から事業が承継されましたが、偶然に頼らず確実に相手を探し、そしてスムーズに承継の手続きを進めるには、信頼できる専門家にアドバイスを求めることも一つの手です。もしあなたが経営者で、もしくはその近い立場にいて、事業承継等の問題をお抱えでしたら、まずは相談してみませんか。失ってはならない価値を、必ず未来に繋いでいきましょう。

文=オンデック情報局