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【歴史と偉人に学ぶ 経営の本質】渋沢栄一に学ぶ、サステナブルな経済・経営を生み出す構想力とは? ≪その1≫

渋沢栄一に学ぶ、サステナブルな経済・経営を生み出す構想力とは?その1

2024年からの新一万円札の発券の発表や、2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」の放映により、全国民レベルで注目が集まることが予想される渋沢栄一。資本主義が限界を迎え、予期せぬコロナ禍によってますます混乱を深める世界にあって、同様に明治維新の混乱期に赫赫たる成果を上げた渋沢の思想と行動は、現代の経営者にとって大いに参考になります。

渋沢は、第一国立銀行(現みずほ銀行)、王子製紙など日本を代表する500社の創業に関わるだけでなく、商法講習所(一橋大学の前身)をはじめ、600の公益組織の立ち上げにも関与。明治政府の殖産興業政策を牽引した功績はいうまでもありませんが、その背景には、視界不良の中で、サステナブルな経済社会を創造するためのグランドデザインの設計力が光っています。本稿ではこの渋沢の構想力を掘り下げ、歴史的背景も踏まえながら、現代の経営に対するヒントを導き出します。

わかりやすくするため、経営者、投資家、社会起業家としての多面的な活動の元となる渋沢の思考フレームの特徴をまとめると、合本主義、道徳経済合一説、経済社会システム創造の3つに収斂されると思われます。今回≪その1≫では、合本主義の観点から渋沢の構想力について考察してみましょう。

渋沢経営の構想力「合本主義」
欧米各国の産業創造の原動力を「株式会社」と理解し、日本での展開を考えた

渋沢は独自の表現で資本主義を「合本主義」、会社組織のことを「合本組織」と呼んでいます。この合本主義を理解するにあたり、まず日本の会社組織の成り立ちについて振り返ってみます。

1602年のオランダ東インド会社に始まり、欧米各国に広まった「株式会社制度」を日本に伝えたのは、幕末・明治維新期の先駆者たちでした。1860年頃から、小栗忠順(上野介)、福沢諭吉、五代友厚、渋沢栄一、伊藤博文といった面々が、次々に欧米に渡りました。彼らは海外で得た見聞を生かし、帰国後に会社組織を各地で設立し、あるいは政府において会社制度の立案に参画しました。

最初に株式会社設立を試みたのは幕僚の小栗忠順。小栗は兵庫港開港のタイミングで「兵庫商社」を設立しました。ところが1867年に、大政奉還により幕府が崩壊し、同社は活動することなく解散しました。また福沢諭吉は、1869年に塾生 早矢仕有的をして横浜に会社組織の丸屋商社を設立させ、福沢自身もこれに出資しました(1880年、丸善株式会社となります)。

日本国の制度としての会社設立に向けた識見は渋沢がもたらしました。

1867年初から、幕臣として徳川昭武のパリ万博視察に随行した渋沢は、ヨーロッパ諸国訪問の機会を通して、産業創造の原動力となっているのが株式会社(合本組織)であると理解します。

パリ滞在中に大政奉還が成り、帰国を余儀なくされた渋沢は、熟慮の末、蟄居を強いられた徳川慶喜を慕って静岡に下ります。そこで、ヨーロッパ視察の成果を実証すべく静岡藩の商法会所を立ち上げました。地域商社と銀行が合体したようなこの会社は、株式会社により近い会社組織となりました。

さて、明治政府が樹立され政務はスタートしたものの、政治経済の運用に熟達した人材はもとより不足していました。渋沢自身は、官に戻る気はさらさらなかったのですが、当時の大蔵卿、大隈重信の巧みな説得により大蔵官僚に登用されることになります。

さっそく大隈に「改正掛」という国のルールを作る組織立ち上げを提案すると、自らそのリーダーとなります。そして、ヨーロッパ視察の実証として立ち上げた静岡藩商法会所の運営経験をもとに、1871年に「立会略則」を執筆し、民間会社設立促進のための啓蒙活動を行いました。この「立会略則」とは、いわば会社運営の手引書です。

渋沢栄一と立会略則
図1 立会略則

これには例えば、
「取締役の選出にあたっては株主間でよく協議して、相応の身元があり、多くの資本金を出した者から選ぶ」
「意思決定の方法については、 投資額の少ない案件は代表取締役に扱いを任せ、大きな案件は株主総会にて決議する」
「十分に勝機がある案件で、決定の遅れが商機を失うものは代表取締役に扱いを任せ事後決裁する」
「利益分配の方法に関しては、利益は所有株式数に応じて全額分配しても良いし、当期利益の1~2割を利益準備金として積み立てても良い」
「株主平等の原則として、 株主の損益に偏りがあってはならない。利益が出た場合は保有株式数に応じて平等に配分する」
といったことなどが記載されています。

さらに政府は、1872年、伊藤博文が米国の銀行制度を調査し、その後渋沢も関わって、米国を模範に国立銀行条例を制定しました。これにより翌1873年、第一国立銀行が誕生します。これが、株主が出資額以上の損失を蒙らない有限責任制に則る日本初の株式会社だといわれています。
同年、もともと民間企業で活動したかった渋沢は大蔵省を辞し、第一国立銀行の総監役に就任(2年後に頭取になる)しました(※1)。

ポイント

  • 「合本組織」は、日本における株式会社の考え方の基礎である
  • 株主、代表、取締役の役割を明確にし、株主平等の原則で経営にあたることが重要である
  • 代表(経営者)は、商機を逃さないよう迅速に経営判断しなければならない

オリジナルな資本主義、合本主義の理念を創造する

渋沢栄一と第一国立銀行本店(当時)
図2 第一国立銀行本店(当時)

この第一国立銀行株主募集布告文を書いたのも渋沢です。文中には次のように、合本組織の設計思想が込められています。

---そもそも銀行は大きな川のようなものだ。役に立つことは限りがない。しかしまだ銀行に集まってこないうちの金は、溝にたまっている水や、ぽたぽた垂れているシズクと変わりがない。時には豪商豪農の蔵の中に隠れていたり、日雇い人夫やお婆さんの懐(ふところ)にひそんでいたりする。それでは人の役に立ち、国を富ませる働きは現わさない。水に流れる力があっても、土手や岡に妨げられていては、すこしも進むことはできない。

ところが銀行を立て上手にその流れ道を開くと、倉や懐にあった金がより集まり、大変大きな資金となるから、そのおかげで、貿易も繁昌するし、産物もふえるし、工業も発達するし、学問も進歩するし、道路も改良されるし、すべての国の状態が生まれ変わったようになる

果たして、第一国立銀行は71人の出資者を集めスタートしました。渋沢の合本組織の理念は、出資であれ預金であれ、集積させることで巨額な資金が集まり、それを経済活動に差し向けることで産業が興り、国の経済発展が成し遂げられていくというものです。

渋沢のヨーロッパ視察の大きな収穫は、製鉄、鉄道、造船といった中核産業を成立させるために、核となり、エンジンとなるものが株式会社であり、また株式会社でもある銀行が、資金によって産業の成長を加速していくことを見抜いたことといえます。

他の随行者たちと違い、渋沢ひとり、パンとバターの洋食に馴染んでいたというエピソードもありますが、渋沢は新しい物事には常に好奇心を持って接し、構造や業務フロー、技術や経済性(コスト等)をつぶさに把握していっているのです。そのとき、本質を見極めるにはより広い視座に立った方が見えやすいということがあります。渋沢は、国家の産業を創造するといった大局的な視点から観察し分析していたからこそ、正確に株式会社の原理を射当てたといえましょう。

ポイント

  • 金は集まり資金となって、流動することで社会の発展を生む
  • 株式会社は産業を発展させる核でありエンジンであり、銀行は資金によって成長を加速させる
  • 全体を俯瞰しつつ、好奇心を持って細部を観察・理解することが新しいチャレンジを成功させる

渋沢の合本主義は、単なる資金的な合本ではなく「人的資本」も含む

さて、それだけではありません。渋沢の合本主義には、実は株式会社制度より広い意味があります。合本主義とは「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる」といった国の産業システムの創造全体にかかる考え方なのです(※2)。

資金が集まれば、形式的に株式会社は成立しますが、ここで特筆すべきは、会社を動かすためには人もそれ以上に重要であり、合本の中に人的資本も含んでいることです。P.F.ドラッカーも、次のように渋沢の人材育成に言及しているのはさすがに慧眼といえましょう。

---岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、日本の外では、 わずかの日本研究家が知るだけである。だが彼らの偉業は、ロスチャイルド、モルガン、クルップ、ロックフェラーを凌ぐ。(中略)この二人が、岩崎が51歳で早逝するまでの20年間、公の場で論じあった。岩崎は資金を説いた。渋沢は人材を説いた。(※3)

つまり渋沢の合本主義は、単なる外国の株式会社制度導入ではなく、人材も伴った実行性のある制度の全体設計を意識していたのです。

まとめ

さて、渋沢がヨーロッパ視察を経て、会社設立の方法をマニュアル化し「合本主義」の構想を具体化したわけですが、その物事の捉え方は現代経営へも応用できるところです。あえて3つ挙げるならば、以下のようになるでしょう。

1 大きな構想は高い視座から生まれるということであり、その成功のためには根本の原理を見抜く必要がある。物事を動かすには制度設計に絡める位置にいることが重要。

2 事業やプロジェクトを設計し運用するときは、あらゆるビジネスプロセスにあるステークホルダーを包含する理念が必要。そして、なぜ取り組むのかをわかりやすい言葉で伝える必要がある

3 構想実現のための運用、すなわち人が重要。構想は自由に描くことが可能だが、運用を行うのは人。人を動かすモチベーションを生むためのロジックが必要。

今回紹介したような渋沢の視点は、現代の経営に活かせる様々なエッセンスを含んでいます。≪その2≫以降では、この「合本主義」という捉え方が、ダイナミックな産業発展においていかなる意味があるのかをさらに掘り下げていきます。

文=オンデック情報局

 → 【歴史と偉人に学ぶ 経営の本質】渋沢栄一に学ぶ、サステナブルな経済・経営を生み出す構想力とは?≪その2≫はこちら
 → 【歴史と偉人に学ぶ 経営の本質】渋沢栄一に学ぶ、サステナブルな経済・経営を生み出す構想力とは?≪その3≫はこちら

引用および参考文献

※1 我が国の株式会社誕生と上場の道のり~上場会社ゼロで開業しました。東京株式取引所~東京証券取引所 金融リテラシーサポート部 千田康匡
※2『青淵』No.759 2012(平成24)年6月号 渋沢栄一記念財団 木村昌人
※3 断絶の時代 P.Fドラッカーダイヤモンド社

その他参考文献

・雨夜譚 渋沢栄一自伝 岩波文庫
・渋沢栄一~日本のインフラを創った民間経済の巨人 木村昌人 ちくま新書
・渋沢栄一を知る辞典 渋沢栄一記念財団 東京堂出版