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【朝礼で活きる名言・格言】社員の挑戦マインドを高める「鳥井信治郎」の名言3選

持続的な成長を遂げるために、向上心にあふれる職場を築きたい! 社員一人ひとりの自発性を高めたい! とお考えなら、その第一歩としてサントリーの創始者である故・鳥井信治郎氏の言葉を社員に贈ってみてはいかがでしょう?

鳥井氏は「日本の洋酒産業の父」として知られています。当時の日本では難しいとされていた国産ウイスキー作りに挑戦し、幾度も失敗。社内だけでなく親交のある経営者からも「手を引くべきだ」と忠告されましたが、決してあきらめず、日本初となる国産ウイスキーの製造を成功させました。

偉業を達成した鳥井氏の思想と、氏の言葉をぜひ朝礼で社員に伝えてみてください。困難に挑む前向きさが社員に宿り、職場全体の意識改革が起こる一助となるでしょう。

「まあ、そういわずにはやってみなはれ」

ウイスキーの製造など果敢に新しいことに挑戦していた鳥井氏は、社員にも難しい仕事をよく依頼していました。指示を出された社員は「できかねます」とたびたび断ろうとしましたが、氏は「まあ、そういわずにはやってみなはれ」と幾度も諭していました。

重要な仕事だけでなく、鳥井氏は日頃から無茶な要求をしていました。例えば、すでに郵送した手紙を「書き間違いがあるから」と取り戻すように命じたり、勤務時間内に仕事を終わらせられない社員には「夜は時間がありまっしゃろ」と言ったりと、氏の無理難題は枚挙にいとまがありません。

現在では問題視されそうな話ですが、これには人材育成の一面もありました。ワインやウイスキーは当時の日本人にはまだ目新しく、味も飲み方も知らない人たちに商品を売るには創意工夫が求められていました。「不可能に見えることでもやればなんとかなるし、やらなければそのままになってしまう」というチャレンジ精神が必要だったのです。

さらに、息子である2代目社長の佐治敬三氏がビール事業に挑戦する際も「やってみなはれ」と後押し。そういった積み重ねで大企業へと成長したこともあって、サントリーには現在でも「やってみなはれ」という言葉が息づいています。

鳥井氏は全ての社員が能力を出し切って知恵を絞ることを望んでいましたが、その実現に「やってみなはれ」という言葉が大きく寄与したといえます。この言葉を朝礼で社員全員に伝えれば意欲的な社風が醸成され、苦境に際して真価を発揮する優秀な人材が社内で育つかもしれません。

朝礼で伝えたいポイント:挑戦を日常の習慣にしよう

・不可能に見えることでもやれば、なんとかなる
・新しいことや改善にはチャレンジ精神が必要
・能力を出し切るには「やってみること」が大事

朝礼での活用例

おはようございます! 本日は皆さんに私が尊敬する経営者の鳥井信治郎さんのお話をしたいと思います。

鳥井さんは現サントリーの創始者。日本で初めて国産ウイスキーを製造し、「日本のウイスキーの父」と称されることもあります。そんな彼には、とある口グセがありました。

「まあ、そういわずにはやってみなはれ」

鳥井さんは日頃から社員に、すでに郵送した手紙を「書き間違いがあるから」と取り戻すように命じるなど、“無茶ブリ”をしていました。現在では「コンプライアンス違反だ!」と怒られそうな話ですが、これは「不可能に見えることでもやればなんとかなるし、やらなければそのままになってしまう」という鳥井さん流の教えでもありました。

ウイスキーやワインは当時の日本には馴染みのないお酒で、売るには工夫が必要。鳥井さんは日頃から社員に知恵を絞ることを熱望していたのです。また、息子である2代目社長がビール事業を始める際にも「やってみなはれ」と背中を押したことで、サントリーはグローバルな企業に成長しました。

我が社もこれから重要な局面を迎えますが、ぜひ皆さん「やってみなはれ」の精神を宿して、業務改善に励んでください。社員全員が挑戦を日常の習慣とすれば、とつてもない成長を遂げられると、私は信じています。

「あとはとことんまでやり抜くだけや」

ウイスキーの製造は複雑です。蒸留してからも樽に詰め、数年をかけて熟成。大麦で作ったモルトウイスキー同士を混ぜる「ヴァッティング」をして、味を整えます。さらにブレンデッドウイスキーなら、麦以外で作ったグレーンウイスキーをブレンドします。

熟成以前の原材料選び一つとっても悪戦苦闘していた鳥井氏でしたが、中でも最も苦心したのはブレンドでした。当時の日本で普及するには万人受けするブレンデッドウイスキーの方が向いていたのですが、なかなか満足する味が出せずにいました。

そんな中で鳥井氏は、息子たちに「ブレンドは、好きやないとでけるもんやない」と話し、「あとはとことんまでやり抜くだけや」と気を吐きました。

鳥井氏は夢に見るほどウイスキーのブレンドについて考え抜きましたが、氏の試作品は当初、海外産より味で劣っていました。しかし、その差を徐々に埋め、1929年に国産初の本格ウイスキー「白札」が完成。そこから「赤札」や「12年」などのロングセラーが生まれます。

ただ、鳥井氏の研鑽は、そこで終わりではありません。生涯の幕を閉じるまでブレンドに向き合い、品質改良を続けました。戦後サントリーはGHQの“御用達”になったことが転機となって躍進しましたが、アメリカ軍将校の舌を唸らすことができたのは、氏のあくなき向上心のおかげであったことは疑いようがありません。

挑戦はウイスキーと同様に積み重ね、熟成させることが大前提。そして、社員それぞれが培った知見・アイデアを混ぜることで、より成功に近づけるはずです。

朝礼で伝えたいポイント:やり切る力が成功を引き寄せる

・仕事に全力で取り組む
・苦境に立たされても迷わずやり抜く
・不断の努力が成功を呼び込む

朝礼での活用例

私事で恐縮ですが、最近ウイスキーにハマっており、とりわけサントリーの「角瓶」を愛飲しています。

この角瓶を作り上げたのは、サントリー創業者である鳥井信治郎さん。鳥井さんは日本ウイスキー界を牽引した偉人でもあるのですが、その道のりは平坦でありませんでした。実は、当時の日本にはウイスキー作りのノウハウがまるでなかったのです。

しかし、困難極まる状況でも、ウイスキーに魅せられた鳥井さんは決してあきらめなかった。当時の彼は、よく息子たちにこのように言っていました。

「好きやったら好きで、一生懸命やりなはれ。そしたら自然にでけるようになる。あとはとことんまでやり抜くだけや」

鳥井さんは海外産ウイスキーに劣らない本格的な味を求めましたが、なかなか実現できませんでした。しかし、彼は夢の中でもウイスキーについて考えるほど悩み抜き、ついには1929年に国産初の本格ウイスキー「白札」を発売。その翌年には「赤札」を、そして1937年には角瓶の前身にあたる「12年」を完成させたのです。

ただ、本当に素晴らしいのは、それらの発売後も鳥井さんはウイスキーを試作し続けたこと。生涯にわたって品質改良を続けたのです。彼の不断の努力がサントリーの大きな財産となり、日本を代表する飲料メーカーへと至らしめたのです。

皆さんも仕事に熱中し、迷わずやり抜いてください。きっと苦境を乗り越えられはず。そうすれば、皆さんも鳥井さんのような素晴らしい偉業を達成できることでしょう。

「こんなもん出したら、商人の恥や」

鳥井氏は職人気質で、商品の品質に非常にこだわっていました。特に、自分がつくる製品に関しては厳格でしたが、あくまで根は商人。氏は「良品廉価」であることを掲げており、良い物をお客様に届けて喜んでもらうことを大切にしていたのです。

サントリー(当時は寿屋)は戦時中、海軍の軍需会社に指定されていました。兵士の士気高揚に酒類は有効であり、近代兵器にはアルコールが必要だからです。愛国心が強かった氏は軍にも協力的でしたが、味への妥協だけは許しませんでした。

職員が海軍から命じられて作った航空食用のビタミン入りウイスキーを飲んだときも、氏は「ウイスキーは薬やないで。楽しんで飲んでもらうんや」と一喝。「こんなもん出したら、商人の恥や」と、納入を断固として反対しました。軍に逆らえば厳しい罰則を受けるかもしれない中でも「納得のいかない商品を売ることは商人の道に反する」と、質を下げることを許さなかったのです。

鳥井氏がサントリーの上場を許さなかったのも、品質へのこだわりからでした。商品の質向上よりも儲けを優先することを恐れたのです。そういった商人としての信念は、サントリーのDNAとして今もなお継承されています。一部の子会社を除き非上場を貫きながら、サントリーのウイスキーはいくども世界一を獲得しています。

仕事に誇りを持つことは、職種を問わず非常に重要なこと。課題を見出し、常に最善を目指すからこそベストな働きができるのです。鳥井氏の言葉をきっかけに仕事への向き合い方を社員に問いかければ、自然と社員の内側からそれぞれの矜持が浮かび上がるでしょう。

朝礼で伝えたいポイント:自分らしい矜持を持って仕事に向き合おう

・自分の仕事に誇りを持つことが大切
・矜持を持ち、自分らしく働こう
・矜持に従って働けば成長が促される

朝礼での活用例

皆さんは仕事をする際、大切にしていることはありますか? その内容は業務によって様々だと思いますが、誇りを持って働くこと自体が重要だと思います。

サントリー創始者である鳥井信治郎さんは、経営者でありながらウイスキーのブレンドも担う職人でもありました。そのため、彼は「良品廉価」を掲げて、自社製品の質に非常にこだわっていたのです。

戦時中、鳥井さん率いるサントリーは海軍の軍需会社に指定されていたため、航空食用のビタミン入りウイスキーを作ることになりました。しかし、鳥井さんは現場の職員による試作品を飲むなり、このように一喝したのです。

「ウイスキーは薬やないで。楽しんで飲んでもらうんや。こんなもん出したら、商人の恥や」

結果ビタミン入りウイスキーの納入を禁止。軍に逆らえば最悪、命を落とす可能性もあった中で、商品の質を下げることを認めなかった。「納得のいかない商品を売ることは商人の道に反する」というのが鳥井さんの信条であり、矜持だったのです。

この話に私は感銘し、「従業員が力を発揮できる環境を設け、お客様の役に立つ」ことを矜持とすることにしました。

そこで皆さんにお願いです。どのようにしたら働きやすいか、ぜひお教えください。さらに、皆さんも自身の矜持を掲げてみてください。自分が何を大切にしているが明確にし、自分らしく働くこと。そうすれば努力の方向性も定まり、自ずと素晴らしい成長を遂げられると思います。

夢を掲げて迷いなく突き進むべし!

なかなか利益を生まないウイスキー作りによって、当時のサントリーは資金繰りに苦しみ、ビール事業などの撤退を余儀なくされていました。

しかし、鳥井氏は自分の夢にすべてを賭けたからこそ躊躇なく邁進。親交が深かった味の素の社長である鈴木三郎助氏にウイスキー作りをやめるように助言されても「洋酒に命をかけたわしがつくるんや。着物を質においても、きっとウイスキーをつくりますよって……」と豪語していました。

ぜひ鳥井氏のウイスキーに掛けた想いを種火として、職場に情熱を灯してみてください。ウイスキーのように時間がかかるかもしれませんが、必ずや職場改善に繋がると思います。

鳥井信治郎(とりいしんじろう)1879ー1962
現サントリーホールディングスの創業者。1923年に大阪府の山崎にて国産ウイスキーの製造をはじめ、1929年に日本初の国産ウイスキー「白札」を発売した。その後も「角瓶」や「トリス」などの国産ウイスキーを手掛けた。

参考図書
「美酒一代―鳥井信治郎伝―」杉森久英|新潮社
「やってみなはれ みとくんなはれ」山口瞳/開高健|新潮文庫
サントリーの歴史」|サントリーホールディングス
やってみなはれ精神が生み出したフロンティア製品」|サントリーホールディングス