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【朝礼で活きる経営者の名言・格言】挑戦や課題を成功に導く「豊田喜一郎」の名言・格言

事業が成長し続けるには新しい挑戦が必要であり、その成長には社員一人ひとりが新しいことに挑戦できる環境が不可欠です。意欲にあふれ切磋琢磨できる社風を築くために、トヨタを紡績の会社から自動車の会社へと変革させた故・豊田喜一郎氏の言葉を、朝礼で活用してみてはいかがでしょうか?

豊田氏は父・佐吉氏の夢である自動車製造を受け継ぎ、「自動車の時代が来る」という確信から自動車づくりを始めます。しかし、当時はバス以外の自動車をほとんど見かけない時代。トヨタの元となった豊田自動織機も地方の中小財閥でしかありませんでした。当然、周囲からは大きく反対されました。

そんな中で夢を叶えることができたのは、生活の全てを自動車づくりに捧げる覚悟があったから。その熱が現在に続くトヨタ自動車の礎を築いたのです。豊田氏の言葉を通じて社内環境を改善することで、革新的な取り組みが生まれる土壌が醸成されるはずです。

 

「誰もやらない、またやり難い事業をものにしてみるところに人生の面白みがある」

1930年代前半、日本はまだまだ自動車後進国で、トヨタにとっても自動車製造は博打といって良いほどの新規事業でした。そのため、製造が簡単な小型乗用車やトラックの試作から始めるのが妥当でしたが、豊田氏は最初から大型乗用車を作ろうとしたのです。

より困難な事業に挑んだ理由について、豊田氏は「当然儲かる事業を当然な方法でやってゆくよりも、誰もやらない、またやり難い事業をものにしてみるところに人生の面白みがある」と説明。「できなくて倒れたら自分の力が足りないのだ。潔く腹を切ったらいいではないか」と書き残しています。

一方で当時、大型乗用車の市場はアメリカの自動車メーカーの独壇場でしたが、日本とアメリカの国際関係は悪化の一途を辿っていました。つまり、国内の大型乗用車市場を独占できる千載一遇のチャンスだったのです。同時に大型乗用車での成功は世界を相手にできる可能性も秘めていることを、豊田氏は見抜いていました。

豊田氏が思い切った挑戦をできたのは、大型乗用車の製造が真に価値ある事業であるという確信があったから。そうして開発されたトヨタ初の乗用車「トヨダ AA型乗用車」は市場の席巻こそできませんでしたが、トヨタの転機として事業に大きな影響を与えました。

人を動かすには自身の情熱だけでなく、先を見据えるビジョンも重要。成功の先に明るい未来があるからこそ、困難も乗り越えられるのです。貴社のビジョンと合わせて豊田氏の言葉を社員に贈れば、深い共感を呼び、より新しい取り組みへの積極性が得られるはずです。

朝礼で伝えたいポイント:困難なことほどリターンは大きい

・難しいことほど挑戦する価値がある
・新たな挑戦が事業のターニングポイントになる
・困難を乗り越えた先には大きな成功がある

朝礼での活用例

皆さんはトヨタの社長と聞いて、誰を思い浮かべますか? ……私にとっては、トヨタ自動車の2代目社長である豊田喜一郎さんです。

紡績から自動車の会社へとトヨタが変わる契機を作った人物で、私は非常に尊敬しています。そんな彼はこのように言っていました。

「誰もやらない、またやり難い事業をものにしてみるところに人生の面白みがある」

もともと自動車づくりに興味があった豊田さんは父親の豊田佐吉さんからも、その夢を託されていました。ただ、当時のトヨタは紡績業が好調で、自動車の知見は何もない。社内から猛反発を受けながら、自動車づくりへの挑戦を始めたそうです。

そんな中で豊田さんが作ろうとしたのが、製造が難しい大型乗用車。当時、日本とアメリカの関係性が悪くなりつつあったのですが、日本において、大型乗用車の市場はアメリカの自動車メーカーが握っていました。豊田さんは大型乗用車の国内市場を独占できるチャンスが来ると考え、最も困難な道へ挑んだのです。

こうして開発されたトヨタ初の乗用車「トヨダ AA型乗用車」は大ヒットとはいきませんでしたが、その後のトヨタの自動車づくりに非常に大きな影響をもたらしたそうです。

我が社も現在、新商品の販売にチャレンジしています。これによって事業は大きく成長し、我が社のターニングポイントとなるかもしれません。豊田喜一郎さんの言葉を胸に明るい未来を目指して、この挑戦を成功させましょう。

「余分なものを間に合わせても仕方がないんだ」

トヨタを世界的な自動車メーカーに押し上げた要因として「トヨタ生産方式」が挙げられます。世界のモノづくりに大変な影響を与えた画期的な生産法なのですが、その柱の一つである「ジャスト・イン・タイム」は豊田氏が考案した仕組みでした。

これは「必要な物を必要な時に必要なだけ作り、無駄をなくす」ことでコストの最小化を目指すシステム。生産効率をあげるために大量生産が当たり前だった当時、流れ作業で必要な物を必要なだけ作るには技術者と機械を大量に使うため、実現が難しいとされていました。

しかし、「時間に間に合わせるのは当然で、余分なものを間に合わせても仕方ない」と豊田氏はこのシステムを導入。ジャスト・イン・タイムと書いた紙を工場の壁に貼り、以降、口癖のように言っていたそうです。

豊田氏は技術で数歩先を行くアメリカの自動車メーカーに勝つため、同じことをしていても勝てないと感じていました。生産の質を高めるためには他がやらない生産方法を採用するしかなく、日頃から豊田氏自身が工場を見回って余分な物を作り置きしないよう指導したといわれています。

新しい取り組みを成功させるには、業務のスピードアップと効率化は欠かせない要素。ジャスト・イン・タイムの考えは、自動車の製造だけでなく、ワークフローの改善に有効です。ぜひ、トヨタの挑戦を成功へと導いた、魔法の言葉を社内に浸透させてみてください。

朝礼で伝えたいポイント:必要な仕事をしっかり見極めること

・納期だけでなく効率も大切
・余分なことをして仕事をした気分にならない
・馴染みのない方法でも積極的に試してみる

朝礼での活用例

トヨタ自動車の2代目社長である豊田喜一郎さんには、ある口癖がありました。それは「ジャスト・イン・タイム」です。

この言葉を聞いたことがある人も多いかもしれませんね。これはトヨタ急成長の要因となった「トヨタ生産方式」で用いられている仕組みであり、豊田さんが提唱した方法です。

当時のトヨタは地方の中小企業であり、自動車製造も始めたばかり。事業を続けるにはコストを下げるしかない中で、豊田さんは「必要な物を必要な時に必要なだけ作る」ジャスト・イン・タイムを思いつきました。

流れ作業で必要な物だけを作る方式は、技術者と機械が大量に必要なため実現が難しかったのですが、「他社と同じ大量生産方式では彼らに勝てない」と導入。工場の壁にジャスト・イン・タイムと書いた紙を貼り、方式と考え方を社内に周知し始めたそうです。

このジャスト・イン・タイムは仕事の多くの局面に当てはまる考え方だと、私は思います。必要な仕事をしっかりと、余分なことを整理し、見抜いて、省く。そして、無駄な仕事をして仕事をした気分に浸るのではなく、無駄を省き、本質的な仕事の生産性向上を模索するのです。ぜひジャスト・イン・タイムを意識して、普段の仕事に挑んでください。

「手を見せろ」

ジャスト・イン・タイムと並ぶトヨタ生産方式の柱として「現地現物主義」が挙げられますが、これも豊田氏が提唱しました。元々エンジニアだった氏は「現地に足を運び、現場や現物を確認する」ことを大切にしていました。

とりわけ豊田氏は見込んだ社員に工場で会うたびに「手を見せろ」と言い、手が綺麗だと不機嫌になりました。さらに事務所で本を読んでいるのを見かけたら「やることがないなら工場で立っていろ」と一喝。氏は現場で自動車づくりに専念することを求めていたのです。

豊田氏が現場を重視したのにはワケがあります。自動車のコストや質は製造ラインの質に左右されますが、当時のトヨタは製造技術がまだまだ未熟。「製造の改善には工程自体を見なおす必要がある」と考えていた豊田氏は、社員に現場の状況を常に把握させ続けることで、製造ラインの質の向上を期待したのです。

このように出来上がった物自体だけでなく、それが生み出されるプロセスにもこだわる豊田氏の考えが、トヨタの代名詞である「カイゼン」の起源。新しい取り組みは失敗と隣り合わせです。失敗の都度、施策の改善が求められます。ぜひ「手をみせろ」という言葉と合わせて、仕組み・プロセスに対する抜本的な改善を繰り返す大切さを伝えてください。一歩一歩、着実に挑戦が成功へと近づくはずです。

朝礼で伝えたいポイント:プロセスを理解することが改善への近道

・現場に足を運びプロセスを理解することを怠らないこと
・仕事で失敗したら直接的な理由でなくプロセス、工程を見直す
・業務を改善するにはプロセス、工程への深い理解が必要

朝礼での活用例

皆さんは私に「手を見せろ」と言われたら、どのように思いますか? ……何か疑われているのかと、気分を害してしまうかもしれませんね(笑)。

実はこれ、戦前トヨタを自動車メーカーとして成長させた豊田喜一郎さんが社員に工場でよく言っていた言葉。当然、現場できちんと働いているかをチェックするためであり、もし手が綺麗なら豊田さんは不機嫌になったそうです。

今だと問題になりそうな言葉ですが、この言動はトヨタを世界的な一流企業へと押し上げた「カイゼン」と大きく関係しています。豊田さんは「不良品が出たなら製造工程を直すべきだ」と言い、そのためには現場を深く理解することが肝心だと考えていたのです。

現場に足を運んで製造工程を確認することで、仕事の流れ・プロセスを深く理解し、そこから問題を特定する。これは自動車製造だけでなく、さまざまな仕事にいえることではないしょうか。

生産性の向上は我が社にとっても大きな課題。日頃から周りやチームとコミュニケーションを取り合って業務の工程、プロセスを相互に理解し合えば、業務のボトルネックをなくし、抜本的な改善案を見つけることができるはずです。

志と実行力が挑戦からの成功を生み出す

自動車づくり、特に海外産のパーツを用いない純国産の乗用車製造を夢見た豊田喜一郎氏。実は氏の存命時にはその夢は叶いませんでした。しかし、氏が考案した方式はトヨタ自動車の基盤として現在まで引き継がれています。

その偉大な功績は、豊田氏が世界一の自動車メーカーを志して行動し続けてきた結果、生まれたもの。豊田氏の言葉に宿る思想が社内に浸透すれば、社員も情熱を持って課題に挑戦しはじめることでしょう。

豊田喜一郎(とよだきいちろう) 1894年- 1952年
トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の2代目社長。1941年にトヨタ自動車工業を引き継ぎ、戦前はトラックの生産に専念。戦後は1947年にトヨタ初の小型乗用車であるSA型(後のトヨペット)を発売した。日本の自動車産業に大きな影響を与え、トヨタグループの礎を築いた。

参考図書
「カイゼン魂 トヨタを創った男 豊田喜一郎」野口均|WAC
「豊田喜一郎―夜明けへの挑戦」木本正次|学陽書房
トヨタ自動車75年史」|トヨタ自動車